今年のMLB開幕戦東京シリーズは、大いに盛り上がりました。試合のチケット争奪戦も凄かったようですが、日本の南端に住む私には全く無縁。(関東に住んでいたら参戦したと思うが)仕方なくテレビ観戦に徹しました。(^^;)
野球は、小学生の頃から見続けている唯一のスポーツ。今は大谷選手のドジャースを応援しているけれど、昔は色々なチームを応援していました。ということで、私の野球ファン歴を振り返ってみました。
小学校低学年の頃は、奄美大島に住んでいたので野球を見た記憶が無い。奄美では民放局が無くて、見られるのはNHKのみ。総合と教育のたった2チャンネル。なので、プロ野球のテレビ中継があることも知らなかった。福岡に移住した1972年が野球ファン歴のスタートでした。
●小学~中学生:1972-78年:巨人、太平洋クラブライオンズ
「巨人、大鵬、卵焼き」の最後の世代。「王、長嶋、V9」でクラスのみんなが巨人のファンでした。野球中継と言えば、巨人戦の中継と地元福岡のライオンズの試合しか無い。必然的に、両チームのファンになりました。
ライオンズは、西鉄→太平洋クラブ→クラウンライターと数年おきに名前が変わるチームで、私より上の世代は黄金時代を知る西鉄ファン、私は地味な西鉄よりも、カラフルで珍奇なユニフォームがカッコ良い太平洋が好きでした。初めてプロ野球を見に行ったのは、福岡平和台球場の太平洋対日拓(現日ハム)の試合。応援団がいない静かな球場で、打球音もよく聴こえるし、観客のヤジに選手がおどけたり笑顔になったりして、野球観戦が楽しかった。大好きだった太平洋は、その後クラウンライターに身売りし、その1年後に埼玉の西武に買収されて福岡から移転しました。ライオンズのファン歴はここで終了。
因みに、埼玉に住んでいた頃は、時々西武の試合を見に行きました。西武のルーツは西鉄&太平洋。福岡にホークスがあるけれど、私にとってはホークスは南海であって、西鉄ではない。なので、今も西武-ソフトバンク戦は西武を応援している。
●高校~大学生:1979-1985年:阪神
1978年末の「江川事件」をキッカケに巨人から阪神ファンになりました。江川事件とは、ドラフト直前の野球協定上の「空白の1日」に巨人が強行的に江川投手と契約した行為で、当時、大問題になりました。「球界の盟主」と言われた球団が、自らルール違反をしてしまう(協定上は可能だが)というモラルの無さに憤慨して、私も巨人ファンを辞めました。
ファンになったのは阪神。理由は、クラウンライターライオンズから移籍した真弓、若菜、竹之内選手が在籍していたから。それとチームがライオンス同様に弱かったのも魅力でした。私は、基本的に判官贔屓で弱いチームを応援したくなる。応援とはそういうものと考えている。ファンの後押しで強くなると自分の手柄のように感じてしまう。
そして、1985年に阪神が38年ぶりに優勝して目標達成。その後も阪神を数年間応援したが、贔屓の選手が次々と引退して、阪神ファンは1980年代で終了しました。(続く)
野球は、小学生の頃から見続けている唯一のスポーツ。今は大谷選手のドジャースを応援しているけれど、昔は色々なチームを応援していました。ということで、私の野球ファン歴を振り返ってみました。
小学校低学年の頃は、奄美大島に住んでいたので野球を見た記憶が無い。奄美では民放局が無くて、見られるのはNHKのみ。総合と教育のたった2チャンネル。なので、プロ野球のテレビ中継があることも知らなかった。福岡に移住した1972年が野球ファン歴のスタートでした。
●小学~中学生:1972-78年:巨人、太平洋クラブライオンズ
「巨人、大鵬、卵焼き」の最後の世代。「王、長嶋、V9」でクラスのみんなが巨人のファンでした。野球中継と言えば、巨人戦の中継と地元福岡のライオンズの試合しか無い。必然的に、両チームのファンになりました。
ライオンズは、西鉄→太平洋クラブ→クラウンライターと数年おきに名前が変わるチームで、私より上の世代は黄金時代を知る西鉄ファン、私は地味な西鉄よりも、カラフルで珍奇なユニフォームがカッコ良い太平洋が好きでした。初めてプロ野球を見に行ったのは、福岡平和台球場の太平洋対日拓(現日ハム)の試合。応援団がいない静かな球場で、打球音もよく聴こえるし、観客のヤジに選手がおどけたり笑顔になったりして、野球観戦が楽しかった。大好きだった太平洋は、その後クラウンライターに身売りし、その1年後に埼玉の西武に買収されて福岡から移転しました。ライオンズのファン歴はここで終了。
因みに、埼玉に住んでいた頃は、時々西武の試合を見に行きました。西武のルーツは西鉄&太平洋。福岡にホークスがあるけれど、私にとってはホークスは南海であって、西鉄ではない。なので、今も西武-ソフトバンク戦は西武を応援している。
●高校~大学生:1979-1985年:阪神
1978年末の「江川事件」をキッカケに巨人から阪神ファンになりました。江川事件とは、ドラフト直前の野球協定上の「空白の1日」に巨人が強行的に江川投手と契約した行為で、当時、大問題になりました。「球界の盟主」と言われた球団が、自らルール違反をしてしまう(協定上は可能だが)というモラルの無さに憤慨して、私も巨人ファンを辞めました。
ファンになったのは阪神。理由は、クラウンライターライオンズから移籍した真弓、若菜、竹之内選手が在籍していたから。それとチームがライオンス同様に弱かったのも魅力でした。私は、基本的に判官贔屓で弱いチームを応援したくなる。応援とはそういうものと考えている。ファンの後押しで強くなると自分の手柄のように感じてしまう。
そして、1985年に阪神が38年ぶりに優勝して目標達成。その後も阪神を数年間応援したが、贔屓の選手が次々と引退して、阪神ファンは1980年代で終了しました。(続く)